2025 年 10 月

10/17(金)

先生とのセミナーがあった.1-motive の特異/de Rham 実現が混合 Hodge 構造を持つことなどの細々としたことを示した後に 1-motive の period を導入した.先生から「Huber–Wüstholz はある程度雰囲気が分かったら別の本に移っても良いんじゃない」と言われた.正直若干飽きかけ(飽きっぽい!)だったので有難い.André でも Ayoub でも良いと言われたが,何を読もうかしら.個人的には Nori motive について知りたい気持ちがある.

10/19(日)

朝に駒場図書館に寄った後,渋谷のイメージフォーラムでタル・ベーラの《ヴェルクマイスター・ハーモニー》と《ダムネーション/天罰》を観た.前者は二度目だが,それでも難解だ.でも面白いと思う.後者はあまり良さが分からなかった.多分疲れていたのもあったのだろうが.近いうちに《サタンタンゴ》も観に行きたいと思っているのだが,果たして集中力が持つだろうか?

10/20(月)

Timothy G. Barnes の Homeric ἀνδροτῆτα καὶ ἥβην を読んだ.印欧語学については門外漢なのでよく分からないが,確かにミュケーナイ期以前に遡る ἀνδροτῆτα < *anr̥tāta という形を想定する説に対してはやはり色々と異論があるらしい.

高校生の頃は,大学生になったらヴェーダやアヴェスターも読むだろうと思っていたのだが,結局読めずに終わりそうだ.大学に入ったら読もうと思って買った本の中にもまだ読んでいないものがたくさんある.大学に入ってからも積読は増え続けているわけだが.

10/21(火)

André の Groupes de Galois motivques et périodes にざっと目を通した.モチーフについてはまだ何も分からないが,Nori motive や Deligne motive(1-motive ではなく,実現関手の compatible system の方)のように実現関手のような超越的な構成の力を借りてモチーフの圏を定義するのは Grothendieck らしい美しさを欠いているのかしら? それと比べると Grothendieck が一番最初に考えた pure motive の圏の構成は如何にも Grothendieck らしい気がする.尤もこれは標準予想なる大難問が解けないことには「構成された」とは言えないのだが…… その点で言うと André の « correspondances motivées » を用いた pure motive の圏の構成は,未解決問題に依存していない上にかなり忠実に Grothendieck の構成に沿っているので,かなり凄い仕事なのかも知れない.それから Voevodsky motive も完全に代数的な構成か.

André は最近色々なところで出くわす.

授業で(局所コンパクト Hausdorff)位相空間上の層の固有順像が出てきた.私は普通の空間上より先にエタール位相での固有順像に慣れ親しんでいたので変なものだと思ったのだが,よく考えると歴史的にもこの順番で導入されたのだろうか?(調べていない)

10/22(水)

Javier Fresán の exponential motives の講演の動画を観た.複素数の部分体 kk に対して Nori motive と同様の formalism(quiver representation を用いるもの)で exponential motive の圏 Mexp(k)\mathbf{M}^{\mathrm{exp}}(k) が定まり,通常の Nori motive の圏は exponential motive の圏に充満部分圏として埋め込めるらしい.exponential motive というのは大まかに言うと代数多様体 XX とその上の関数 ff の組 (X,f)(X,f) に対して定まるようなもので,これの period は σefω\displaystyle \int_{\sigma} e^{-f}\omega という形の複素数だと見做せるらしい.すると例えばガンマ関数の特殊値なども exponential period に含まれることになる.面白かったのは,例えば Γ(1/2)2=π\Gamma(1/2)^2={\pi} のような関係式が実は exponential motive のレベルで conceptual に解釈できるという話で,これは Mexp(k)\mathbf{M}^{\mathrm{exp}}(k) における H1(A1,x2)2H1({x2+y2=1})\mathrm{H}^1(\mathbb{A}^1, x^2)^{\otimes 2} \cong \mathrm{H}^1(\{x^2+y^2=1\}) という同型を反映しているらしい.

夕方ごろに motive と物理学の関連について少し調べていた.Connes と Marcolli の Noncommutative Geometry, Quantum Fields and Motives は非常に浩瀚なので気圧されがちだが,前書きには

We try to introduce the material as much as possible in a self-contained way, taking into consideration the fact that a significant number of mathematicians do not necessarily have quantum field theory and particle physics as part of their cultural background. Thus, the first half of the chapter is dedicated to giving a detailed account of perturbative quantum field theory, presented in a manner that, we hope, is palatable to the mathematician’s taste.

と書いてあったので意外と読める(≠ 読み切れる)のかも知れない.ちょうど気になっていたところだったので気分が向いた時に読み進めてみたい.

次次回以降の講究で何をしようか悩んでいる.Huber–Wüstholz は次回で終わりにするとして,Huber–Müller-Stach で Nori motive を勉強するか,あるいは Voevodsky の motivic cohomology の lecture note を読むことも少し考えている.

10/23(木)

Huber–Müller-Stach の 7 章を読んでいるのだが,ホモロジー代数の演習みたいなものが永久に続いていて若干嫌になってきた.セミナーでやるとしたら 9 章くらいからで良いかも知れない.

10/24(金)

午前中にヴァイオリンのレッスンがあった.11 月下旬に発表会があり,そこでショスタコーヴィチの《二つのヴァイオリンとピアノのための五つの小品》(アトヴミャン編曲)の最初の二曲を第二ヴァイオリンを演奏する予定なのだが,今日は先生と合わせた.それなりに上手く行ったので楽しかった.

午後には講究があり,π\pi や 代数的数の log の超越性を示した.私も先生も Huber–Wüstholz はこれくらいで良いだろうということだったので次回からは別のものを読む.Voevodsky motive をやるなら Mazza–Voevodsky–Weibel の lecture note を読むことになると思うが,別にまだ Voevodsky motive をやると決めたわけでもない.Nori motive ならば Huber–Müller-Stach で良いと思うが,多分こちらは Nori motive 周りに触れるだけであれば恐らく数回のセミナーで済みそうな気がする.或いは André の Pour une théorie inconditionnelle des motifs を読むという手もあるが,André の論文は一般に分かりにくいらしい.あと André で言うと G-functions and geometry がとても良い本だと聞いた.こちらも目次を見てみると結構面白そうだ.

結局どうしようか迷ったままなのだが,取り敢えずすぐに読めそうな Huber–Müller-Stach で数回分の場を持たせてその間に色々見ながら考えるという感じでも良いかも知れない.そもそも修論に向けて自分がどのようなことをやりたいのかがまだ判然としないので聊か迷走状態だ.先生にはまだ修論についてはそこまで考えなくても今は好きなことをやっていれば良いと言われたが.

10/25(土)

バイトがあった(バイトに関してどれほど口外して良いのか分からないが,多分なるべくしない方が良いと思うので,非常に抽象的な表現にしておく).普段とは違う変則的なものだったので面白かった(別に普段がつまらないというわけではない).

人生は虚しく,滑稽で,この上なく馬鹿げているが,それでも(だからこそ?)愛おしい.チャイコフスキーの4番の最終楽章のように(この交響曲に関していつかちょっとした文章を書きたいと思っているのだが,如何せん音楽に対する知識が浅くて書けないでいる).生きるに値しない生であっても愛している.いや,そもそも最も吟味に満ちた生から最も軽佻浮薄な生に至るまで,生としておよそ生きるに値したものなど一つとして存在しなかったのではないだろうか.

10/26(日)

【注意】タル・ベーラの映画《サタンタンゴ》のネタバレを含みます.

タル・ベーラの《サタンタンゴ》を観た.19日の日記に書いた通り,集中力が保つかが不安だったのだが,まあまずまずの集中を保てたと思う.とはいえ8時間もスクリーンに向かっているのは流石に疲れる.当然ながら一度見て大体分かる類の映画ではないので数回は見返したいところだが,一度これを見てから暫くもしないうちに再び観るのは御免だという気持ちと,しかし上映されている今のうちに観ておかないと映画館でこの映画を観られる機会はそうそう訪れないだろうから勿体無いだろうという思いがせめぎ合っている(尤も Amazon Prime では配信されているので,決して観られないというわけでもないのだが……).

私のような浅学で鈍い者は斯様な作品をたった一度観ただけでは極めて浅い表層しか汲み取れないので感想らしい感想がそれほどあるわけではないのだが,折角なので思ったことを書き留めておく.

まず,内容がドストエフスキーの『悪霊』に似ていると思った.形式的な点でも例えばイリミアーシュ・ペトリナ・シャニはスタヴローギン・ピョートル・エルケリの三人に似ている.尤も《サタンタンゴ》におけるイリミアーシュはスタヴローギンのカリスマ性とピョートルの口八丁を併せ持ったようなキャラクターなのであるが.それからイリミアーシュが作る組織もいかにも『悪霊』の五人組らしい.

そもそも《サタンタンゴ》というタイトルからして私はキリーロフの「悪魔の茶番劇」を連想せずにはいられないのだが,これはもはや行き過ぎた妄想だろうか…… この映画はその内容の深刻さにも拘らず,描き方にどことなく滑稽さが滲んでいるように感じた.この物語の語り手(?)である医師の振る舞いからして戯画的である.しかも彼自身は全てを自宅の窓から観察して書いているときている.映画の中で彼が家を出るのは二回だけだ.一回目は酒が切れたので酒場に酒を買いに行く時で,この途中で彼はエシュティケに訳の分からない絡み方をされて転んだ挙句入院までする羽目になっている.二回目は鐘の音を聞いて外の様子を見に行く時だが,この時は鐘を鳴らして「トルコ軍が攻めてくる」と叫び続ける男と妙なすれ違い(?)をしている.

最後の鐘を鳴らす男の場面は象徴的だと思った.イリミアーシュに翻弄される農村においてただ一人いみじくも警鐘を鳴らしている(文字通り!)ように見える男は明らかに正気ではなく,彼の警告も実際には的外れである.医者は彼の元に行くが両者は恰も互いが存在しないかのように,交流することなく再び別れる.このあと医者は家の窓を板で塞ぎ,闇の中に閉じこもってしまった.

医者と鐘を鳴らす男のみならず,この映画では全ての人間の間の関係が虚しい.当然,たくさん会話はするし同衾もする,しかしそれでも彼らの間の交流は表層を上滑りしているような印象を与える.少女の自殺に託けて金を巻き上げるイリミアーシュもイリミアーシュだが,村人も村人である.彼らの言葉はイリミアーシュの言葉とさして変わらないのではないか.雨は降り頻るのに人間的な交流は枯渇している.——果たして我々自身もそうではないと言えるだろうか?

とすると,医者の態度も馬鹿にはできないような気がしてくる.結局,人と関わろうが家に閉じ籠ろうが我々は本来的に孤立しており,孤独なのだ.私は決してあなた(もしもこの文章を読んでいる人がいるのであれば)のことを理解することができないし,あなたも決して私のことを理解することができない.私があなたを騙すことがあっても…… 私があなたと一緒に悪魔のタンゴを踊ることがあっても……

10/27(月)

大学に行った.友人と Cisinski の Higher categories and homotopical algebra のゼミをした.そのあとロシア語の読書会があった.

Cisinski のゼミは友人と三人でやっているのだが,私以外の二人が来年から京大に行ってしまうので少し寂しい.

暫く前から読んでいたブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読み終えた.奇想天外な物語だった.私はとても好きだ.最近私は俗物と化してしまったもので,物語を書く以上は哲学や思想のような小難しいことはさておき兎に角面白い物語を読ませてほしいと思うようになった.その上で哲学なり思想なりを盛り込んでほしい.——というのも,あまりに「高尚」で作者の顔がありありと見えてしまうような作品には少々辟易してしまうことがあるからだ.——などと偉そうな口を利いているが,これは私が曲がりなりにも小説を書こうと試みて痛感したことで…… 尤もなかなか遅々として進まぬものだが……

一般に「思想的小説」だとか言われるもの——例えば『カラマーゾフの兄弟』だとか『異邦人』だとか『嘔吐』だとか——はこの辺りの塩梅が絶妙だと思う.

今日の定理:歳を重ねるごとに頭痛の引き金となる事象が増える.

10/28(火)

層理論の授業で通常の位相空間(局所コンパクト Hausdorff くらいは仮定する)上の層の固有順像と逆像の base change theorem を証明したのだが,その授業の後で先生に突然「代数幾何の proper base change はどんな感じなのか」と聞かれてびっくりした.その先生とは殆ど話したことがない筈なのにどうして私が代数幾何をやっていることをご存知だったのだろうか.ただ,私は連接層の方は知らなくてエタール層の proper base change しか知らないのだが……

エタール層の base change theorem を示すにはまず proper base change を示してから一般の固有順像に関する base change を示すのだが,この proper base change がかなり深い定理で,色々と帰着を繰り返した後に本質的には Artin approximation theorem に帰着されることになる(私は Artin approximation の証明は追っていないので,ここはブラックボックスだ).ところが位相空間上の場合には一般の base change theorem がいきなり,しかもかなり呆気ない証明で終わってしまうらしい.

proper base change の最も本質的な部分は順像の stalk とファイバー上のコホモロジーの比較だが,位相空間上ではこの比較がかなり素直に行えるのに対して,エタール層に対してはスキームの構造自体の複雑さからこの比較が一筋縄では行かないという点が両者の最も大きな違いだと思っている.射を色々と分解したりして議論を進めると,結局は強 Hensel 局所環 AA に対する PA1SpecA\mathbb{P}^1_A \to \spec A という固有射のみに対して主張を示せば良いということが分かるのだが,PA1\mathbb{P}^1_APA/mA1\mathbb{P}^1_{A/\ideal{m}_A} のコホモロジーの比較で一番難しい部分は1次コホモロジーの比較であって,これは本質的には両者の étale covering の比較になる.ここで(正確には更に完備化との比較が挟まるが)Artin approximation を使うことになる.

この辺りの話は先学期の講究で扱ったことだが,暫く時間が経って少し理解が明瞭になってきた気がする.

最近駒場図書館ではスラヴ語(と言っても主にロシア語だが)の本が除籍本として配布されていることが多い.今日も新たに追加されており,その中にはグロスマンによるドストエフスキーの伝記があった.持っていきたいと思ったが,そもそも私はいつまでも本棚に飾ったままにしてしまう可能性が低くないし,折角なら例えばロシア文学を専攻しているような人に持っていってもらいたいとも思ったので,帰るときに再び除籍本の棚を覗いてみて,その時まで残っていたら持って帰ろうと決めた.帰るときに棚を見ると丁度ドストエフスキーの伝記だけ消えていた.半ば残念で,半ば安堵した.

10/29(水)

次の講究(明後日)では Nori motive の話をしようと思っていて,流石に quiver representation の細かな話はセミナーで扱いたくはないのだが,とはいえ Nori motive を定義するにはこの辺りを把握しておかなければならないので,準備がそれなりに大変になってしまった.

中学生くらいの頃に書いた文章を読むと,当時は大真面目に書いていた筈なのにあまりにも稚拙で驚いてしまうことが少なくない.今書いている文章に対しても数年後の私は同様に思っているのだろうか.——恐らく思っているのだろう.人間にとって客観的に現れた自分ほど忌まわしく穢らわしいものはないのだから……

effective motive から motive を構成する際にテンソル圏において或る対象を形式的に可逆にするという操作を当たり前のように行っているが,この操作について明示的に書いてある文献をあまり知らない.別に難しい話ではなくて,ただ

CXCXCX\begin{align*} \cat{C} \xrightarrow{-\otimes X} \cat{C} \xrightarrow{-\otimes X}\cat{C} \xrightarrow{-\otimes X}\cdots \end{align*}

という図式の余極限を考えれば良いだけだとは思うが.或いは,形式的に YObjCY \in\obj\cat{C}nZn\in\Z の組 Y(n)Y(n) を対象とし,射を適当に定めた圏に Y(n)XY(n+1)Y(n)\otimes X \cong Y(n+1) というような関係を入れる方法でも出来そうだが,こちらは射の扱いが面倒になりそうな気がする(実はならないのかもしれないが).

10/30(木)

講究の準備がかなり逼迫していたのだが,4限が急遽休講になったので助かった.3限の pp 進 Simpson 対応の授業は段々分からなくなってきた.

ここ一週間ほど突貫工事で Nori motive を勉強してきたのだが,明日のセミナーはギリギリなんとかなりそうで良かった.結局 Nori motive 多様体の組からなる適当なグラフの singular realisation による表現に一番近い Abel 圏として構成されていて,これ自体はかなり straightforward な発想だが,この圏に tensor structure を入れる為にはこの表現が multiplicative になっていなければならず,そこでかなり非自明で技術的な工夫が必要になるというような話らしい.具体的には,singular realisation による表現を安直に取ってしまうと Künneth formula によってその送り先は綺麗なテンソル積ではなくてテンソル積の直和になってしまうので,特定の次数のコホモロジー以外が上手く消えるような組のなす部分グラフに取り替えて考えるということをしている.

Künneth formula というのは導来圏で考えれば非常に自然な形をしているのだが,ここでは寧ろ(無理に?)Abel 圏のレベルで考えているのでこのような複雑な手法が必要になっているような感じがする.やはりモチーフの正しい住処は導来圏なのだろうか……?

そういえば少し前に Sati Akura という,日本語の歌をロシア語でカバーしている人を見つけた.歌が上手いしロシア語でカバーされているのが面白い.これ(下)なんかとてもすごいと思う.

明日は高校時代の担任の先生とご飯を食べに行くことになっている.楽しみだ.

10/31(金)

講究があった.diagram category を軽く紹介した後,Nori motive を定義した.Nori motive を終わらせた後に何をするかという話を少ししたが,やはり Ayoub の関数体に対する Kontsevich–Zagier 予想の論文などを一つの目標とするのも良いのかもしれない.どういうことをやりたいのかと聞かれたが,そもそも自分の興味の方向がまだあまり定まっていない.何にでも興味があってどうしたら良いのか分からないような状態だ.

授業が終わった後は巣鴨に行って高校時代の担任の先生とご飯を食べた.中高時代は校則で禁じられていたので巣鴨周辺の飲食店に入ったことは全くなかったし,卒業後はこの辺りに来ることもなくなってしまったので,巣鴨の飲食店は全く知らないのだが,先生方はよく行かれるそうで,今日も巣鴨の小さい上海料理店でご飯を食べた.今日食べた料理は甘い味付けで,中華と聞いて想像するような辛い料理(四川料理?)とは全然違っていた.中国(特に上海)からの留学生が多く来ているそうなので,多分上海で本当に食べられているような味なのだろう.とても美味しかった.

その先生は歴史学(日本史)で博士号を取られた先生で,お話がとても面白い.卒業後もこうして関わってくださるのはとても有難いことだ.

卒業した後に色々と話を聞くと生徒時代には知らなかった面も見ることができて興味深い.高校時代にはあまり感じていなかったが,私は良い学校に通っていたのだな.

今日は夕方から雨が降っていた.私はあまり傘を差さない人間なのだが,今日は傘を差した.そういえば《サタンタンゴ》では登場人物が降り頻る雨の中を傘を差さずに歩いていたが,そのような文化圏もあるのだろうか?