今日は午前中に Cisinski のゼミがあった.前層圏にモデル構造を入れる話が漸く終わった.長かった 2 章も残り僅かだ.ここ二週間ほどでモデル圏にそれなりに触れたので前回の Cisinski ゼミの時よりも慣れたような気がする.
コボルディズムの授業では Steenrod 代数というものを扱っていた.素数 に対して, 係数の安定コホモロジー作用素全体は Steenrod 代数と呼ばれる次数付き 代数 をなし,更に には実は Hopf 代数の構造が入るらしい(Steenrod 代数 よりも双対 Steenrod 代数 の方が振る舞いが良いらしい)が,この話はまさに(Nori の方法で)motivic Galois 群を作る話と並行的で興味深いと思った.というのは, の部分体 が与えられたときにその上の Nori motive の圏 が定まり,これは rigid tensor abelian category になるのだが,Betti realization によって fibre functor と呼ばれる tensor functor が定まる.この fibre functor の endomorphism ring の dual(というと若干嘘になるのだが)が実は可換 Hopf 代数であることが証明できるので,その代数の Spec を取るとある group scheme が得られ,これが motivic Galois 群である.Nori motive の圏 は motivic Galois 群の表現の圏と反変圏同値になる.(このような話は André の Groupes de Galois motivques et périodes に簡潔に纏められている.)
この辺りの話は多分 Voevodsky やその周辺の界隈が理論を整備しているのだろうが,私はまだ何も知らない.今日の授業を聞いてこの類の話に対する関心が非常に高まった.
生協書籍部で昨日触れたラーゲルクヴィストの新刊を買った.「アハスヴェルスの死」,「海上の巡礼」,「聖地」は三部作になっているそうだ.「巫女」と「アハスヴェルスの死」が続いている(というか同じ人物が登場する)ということは知っていたが,「アハスヴェルスの死」にも更に続きがあるとは知らなかった.この本が出たことによってラーゲルクヴィストの小説は全て邦訳されたことになると書いてあった.
層理論の授業では が定義されてその具体例として Poincaré 双対と Thom 同型が示されていた.多様体に対する Poincaré 双対は向き付け可能な多様体に対する定式化しか知らなかったのだが,より一般には多様体上に orientation sheaf というものが(dualizing object として)定まって,それを係数に持つコホモロジーとコンパクト台コホモロジーの間の同型として述べることができるらしい.エタールコホモロジーの Poincaré 双対では係数に Tate twist が現れるのだが,orientation はそれに対応しているようだ.複素多様体には必ず orientation が定まることと強 Hensel 環上の scheme では という同型が(non-canonical に)取れるということも似ている.実多様体を扱うとどうしても orientation を扱う必要があり,私はそれがなんとなく苦手だったのだが,最近は何となく orientation というものは実はかなり深い概念なのではないかというような気がしている.別に何か判然とした根拠があるわけではないが.それから,どうでも良いことだが,層理論の授業中に突然鼻血が出てきて驚いた.小学生くらいの頃はとても頻繁に鼻血を出していたが,中高生の頃から急に出なくなり,ここ最近は一年か二年に一度程度だったのだが,その稀有な一回が運悪く授業中だった.
Berthelot の preprint はやはり分かりにくいが,Bosch の本は結構読みやすいように感じる.あと Ayoub の Motifs des variétés analytiques rigides の最初の章も役に立ちそうだ.収束冪級数を考えると単位円盤が取り出せるというのはなかなか上手いなぁ……
東大数理からメールが来て,大学院での指導教員は希望通りになりましたよと言われた.
Berthelot の preprint と Bosch の本を適宜参照しながら Ayoub の rigid analytic motive の論文の 2 章を読んだ.この章の最初の方には rigid analytic variety の finite correspondence category の構成が載っており,その構成が少し見た感じでは非自明そうだったのでこの辺りをセミナーで話そうかと思ったので幾らか真面目に読んだのだが,finite correspondence によって射を定めた圏が本当に圏をなすということを示すために非自明な構成を用いて巧妙な議論をしていただけであって,それらを全て纏めると結局は期待通りの構成によって期待通りの結果が得られるというだけだったので別にセミナーでわざわざ話さなくても良いかなという気分になった.それにしても関数体の Kontsevich–Zagier 予想を示すためにリジッド幾何が本質的に必要になるとはなんとも不思議だ.一体どのようにして使われるのだろうか.
前述の「巧妙な議論」というものは affinoid 空間の圏に fh 位相という謎の位相を入れ,その位相においてある対象が表現する層(つまり という形の層)を考えるとその大域切断が実は finite correspondence になっており,それを用いると multiplicity の振る舞いや表式が得られるというとても不思議な議論なのだが,これは Suslin と Voevodsky の論文 Singular homology of abstract algebraic varieties が元ネタらしい.この論文では scheme の圏に qfh 位相という位相を入れて同様の結果を示している(Theorem 6.7).やはり Voevodsky はすごい.因みにこの論文の定義 4.1 は多分 sheaf with transfer の transfer の由来だろう.今まで何が transfer なのかよく分からなかったが,この定義は確かに transfer である.
Spotify が 2025 年のまとめを出していた.私が今年聞いたアーティスト(?)のランキングは
らしい.概ね予想通りだった.1–4 位が作曲家なのだから 5 位も作曲家にしてほしいものだが.Collegium Vocale Gent がランクインしているのは多分 Philippe Herreweghe と Collegium Vocale Gent の受難曲をたくさん聴いた所為だろう.実際,私が今年一番聴いたのは彼らのヨハネ受難曲だったらしい.
バッハの受難曲というとマタイの方が人気だが,実は私はヨハネの方が好きだ.ところで一番よく聴くのはやはりヘレヴェーゲのように現代的な演奏なのだが,そうは言ってもリヒターのような歴史考証とはかけ離れた演奏も捨て難いもので,現在のコンサートでこのような演奏を聴く機会が殆ど無い(私が認知していないだけかも知れないが)のは少々残念だ.勿論,ピリオド演奏に芸術的・学術的価値があるということは言うまでもないが,そもそも芸術は学問ではない(ともするとより強く,芸術は学問的な誠実さからは全く独立していなければならないという主張さえも成立しうるかも知れない)のだから,学術的な正しさから敢えて離れても良いのではないだろうか.これは半ば自戒でもあるのだが,学術的誠実さはある種の麻薬であって我々を酔わせる効能を持っており,当然ながら学問に従事している間は学術的誠実さを重んじなければならないが,日常生活(つまり,学問という狭い狭い箱庭の外側全てである!)ではその限りではないどころか,寧ろ学術的誠実さを振り切らなければならない.そもそも我々の人生全てがが全く論理に立脚していない代物なのだから,別に生まれてこなくても良かったのに――生まれてきたいなんて一度も願わなかったのに――気が付いたら生かされていてそのまま引き返せずにここまで来てしまっただけの,いわば我々なんて全て偶然性の忌み子なのだから,そんな人生を学問に凭せ掛けようなんて無理な話である.どうか,学術的誠実さで却って自分自身を欺かぬように…… 非論理的で ad hoc であることを拒まぬように…… 最近私はそう思いますよ.
今日の定理:青の洞窟はあまりにも赤の広場に対するアンチテーゼだ.
今日の講究は若干グダグダになったが学ぶことが多かったので良かった.先生が「Cisinski–Déglise は Lei Fu より簡単で,一番 Hartshorne が難しい」と言っていたのが面白かった.motif proche を導入するところで「ここで何故 みたいな射が出てきたか分かりますか?」と問われたのだが,当然そんなことは分からないので分からないと答えたら,この構成は惰性群の -part(wild)と -part(tame)の分解のうち -part の部分は大体 Kummer 理論で片付くものしか出てこないから, でその部分を消して -part を見ているのだというようなことを言われた(大体こんなことだったと思うが,私の理解がまだ覚束ないので間違えているかも知れない).あまり分かっていないがなるほどと思った.先生に唆されて(いや,勿論私自身も読みたかったのだが)Ayoub を読み始めてしまったが,なかなか難しい.セミナーの準備は毎週かなりハードだが,良い勉強にもなっている.Ayoub の論文を読む為に必要な知識を律儀に勉強していてはいつまで経っても終わらないだろうから,こういう風に適当に背伸びしつつ勉強するのが現実的なのだろう.とはいえ,今まで数学を勉強してきた経験からして,背伸びには無理があってあまり勉強にならない背伸びと適切な負荷がかかって学びの多い背伸びとがあると思っているのだが,ある勉強がどちらの性質のものであるかはある程度それを続けてからでないと分からないので,難しいところではある.
ギリシア語の講読では来週からミュケーナイ期ギリシア語を読むらしいが,注釈が無いと何も分からないし注釈に書いてある以上のことは何も分からないので講読で何を聞かれるのかが分からない.一体どうしたら pa-we-a が φάρεα であることが分かるんだ(ミュケーナイ期には φάρεα は φἀρϝεhα で,線文字 B では p と ph を区別しないことと音節末の子音が表記されないことから pa-we-a になる).
大学の後はヴァイオリンのレッスンがあった.発表会の後で最初のレッスンだったが,発表会に参加した人からは私が参加していたショスタコーヴィチのデュオが好評だったと聞いたので嬉しかった.もう一人の方がかなり上手かったからというのは大いにあるだろうが.
今日はロシア語の読書会の予習をした.Cisinski の方は漸く 2 章を読み終えてモデル圏論が終わったと思ったら,今度は単体的集合ゲームのようなことが始まってこれはこれで面倒だ.無限圏は(ひょっとすると代数幾何以上に)なかなか美味しいところに辿り着かない.
この間の講究でよく分からなかったところについて先生からメールが来た.休日なのに有難い.
今日は Cisinski のゼミとロシア語の読書会があったが,どちらも予習がかなり逼迫していた.Cisinski の方は若干グダグダになってしまったので申し訳なかった.
Ayoub の論文はかなりしっかり書かれているので,腰を据えて読めばとても良い勉強になりそうだが,問題は腰を据えて読めるような量ではないということだ.
層理論の授業で漸く mocrolocal sheaf theory が始まった.microsupport の定義は以前に何となく見たことがあり,その時は意味不明ですぐに投げ出してしまったのだが,気持ちを説明されると別に難しい話ではないしうまく出来ていて面白いと思った.
Ayoub の Les six opérations … の 4.4 節を読んでいた.結局この辺りは全部必要になってくるのか?
Milnor fiber について少し考えていた.非自明な例を考えるとなると少なくとも複素次元が 2 以上になってしまうので,なかなか形が想像しにくいなと思っていたのだが,例えば のような関数の Milnor fiber は次のように考えれば分かることに気がついた.この関数の Milnor fiber は適当な に対する という集合だが,これは の Riemann 面から無限遠点の近傍を除いたものだと思える.よく知られているように, の Riemann 面は,二つの複素平面に 本の切れ込みを入れてそこで貼り合わせて得られる種数 の閉曲面 で, が奇数の場合には無限遠点が分岐点なのでこの Riemann 面上の無限遠点は一つだが, が偶数の場合には無限遠点が二つある.従って求める Milnor fiber は, が奇数の場合には であり, が偶数の場合にも となる.これは Milnor の定理の結果と整合的.より次元が高い場合にはどう考えれば良いのかまだよく分からない(というか考えていない).
Ayoub の Une version relative … の 2.3 節を一応読み終えた(ブラックボックスは大量にあり,まだ証明が詰められていないところも少しある).リジッド幾何的な直感が未熟なので と が圏同値になることが不思議に思える.多分 Milnor fiber だとかその monodromy だとかに関連する話なのだろうが,よく分かっていない(その関連で上述のことを考えていたのだが……).
表現可能関手を表現している対象は英語だと representing object というまどろっこしい言い方をするが,フランス語だと単に représentant と言えば良いらしい.一応英語にも representant という単語はあるようだが,あまり使われないみたいだ.
昨日はヴァイオリン・講究・講読がある日だった.講究の方はあまり準備ができていなかったので早く終わってしまった.次の講究までは少し間があるので,普段よりは余裕がありそうだ.最近は Ayoub の論文ばかりを読んでいるので,他のものも読みたいところだが…… Une version relative … は難しいが,セミナーで扱わない限り多分自分一人では読まなかっただろうし,Voevodsky のモチーフに(かなり付け焼き刃的ではあるが)多少は慣れられそうでもあるので読み始めて良かったとは思う.ところで次回から réalisation de Betti tangentielle の節なのだが,réalisation de Betti tangentielle って何だ? ギリシア語の講読ではミュケーナイギリシア語を読んだ.ミュケーナイギリシア語をしっかりやるにはやはりスペイン語が必要になるのだな.私はスペイン語が読めないのだが.
Ayoub の Une version relative … では定理 2.13 で突然 foncteur « cycles proches » topologique というものが定義なしに現れるのだが,定理 2.17 の証明で折角だし定義を紹介しておくという風にして foncteur « cycles proches » topologique の定義が述べられていて本当に訳が分からない.そういえば昨日のセミナーでも先生が「Ayoub のこの論文の rappel は簡潔すぎて読みにくい」と仰っていたので少し安心した.他の異常に長い論文ではそのようなことはあまりなさそうなのだが…… とはいえ 2.5 節あたりからは割と読めるような感触になってきた.2.6 節の最初で突然 « on note le pro-schéma des voisinages étales du polydisque fermé dans » などと言われてギョッとしたが,すぐに « Rappelons sa définition » と書かれていたので安心した.Ayoub いつもありがとう! モデル圏での spectra に関することやリジッド幾何を用いるあたりの勉強は大変だったが,その辺りを一通り乗り越えればあとは案外読めるのかもしれない.
フランスの数学者は définition だとか théorème などといった標準的な項目に加えて scholie という項目もよく使う印象があるのだが,Bourbaki の Mode d’emploi de ce traité には
Sous le nom de « scholie », on trouvera quelquefois un commentaire d’un théorème particulièrement important.
と書かれているので,ひょっとするとこの影響なのかもしれない.scholie というと写本の欄外注を思い浮かべるが,フランス語の辞書を引いてみると
Vieilli. Remarque complémentaire faite à propos d’un théorème, d’une proposition.
https://www.dictionnaire-academie.fr/article/A9S0862
とも書かれていたので,Bourbaki の用語は更にはこの辺りに由来するものなのかもしれない.
明日は雪が降るらしい.心が幼いので未だに雪が積もったら嬉しいなと思ってしまう.
今日は年内最後の Cisinski ゼミとロシア語読書会があった.simplicial set の議論が延々と続いていて厳しい.
結局雪は降らなくて残念だった.
超局所層理論の授業が面白くなってきた.層に対する Morse 理論というのは標語としては聞いたことがあったが,その意味するところが分かった.かなりどうでも良いが,microlocalization の語構成はギリシア語・ラテン語・ギリシア語・ラテン語となっていて面白い.
Cisinski–Déglise を少し見てみたのだが,確かに読みやすそうだと思った(Fu より簡単なのかは分からないが).今の所私は騙し騙し Voevodsky のモチーフを扱っているような状態なので,できれば Cisinski–Déglise などを読みたいが,時間があるかは分からない(し,本当にそれが必要なのかどうかも分からない).
最近は数学に忙しくてめっきり本を読む時間が減ってしまったので,恥ずかしながらだいぶ前(調べてみると11月4日らしい.日記を付けているとこういう時に少しだけ役に立つ)に読み始めた『罪と罰』を漸く読み終えた.読み返してみて初めて気が付いたが,『地下室の手記』との関連は殆ど明らかだし,エピローグの監獄の描写は『死の家の記録』に描かれていることとかなり重なるところがある.それからラスコーリニコフの母親のラスコーリニコフに対する接し方を見ていると胸を締め付けられる(ドストエフスキー一流のお涙頂戴にまんまと乗せられていて聊か癪ではあるが!).私自身が卑劣で親不孝な人間(これに関してはただ徒に卑下しているのではなくてそれなりに明確な根拠があるのだが,あまりに個人的な事柄なのでここに書くのは憚られる)であるのに,しかも十分に親の愛情を受けているのだから,どうしてもラスコーリニコフと自身を重ねずにはいられない.
今日も Ayoub を読んでいたのだが,よく分からない行間に突き当たってしまって進捗はあまりなかった.アルバイトの関係でちょっと難しめの問題を作らなければならないので,それを考えて現実逃避していた.一応 2 題作ったが,片方はよく考えると成立していなかった.気が付いてよかった.
ChatGPT に「あなたが私について知っている情報をなるべく多く挙げて下さい」と尋ねてみたら「第一言語はスペイン語」と言われた.どうしてそう判断したのかを聞いてみたところ,2025 年 3 月 8 日に私が直接伝えたとのことらしい.その時の具体的な文脈を尋ねると「結論から率直に言います。私は、そのような「具体的な文脈」を実際には提示できません。理由は、その発言自体が実際には存在しなかった可能性が高いからです」と答えた.どういうこと???
昨日考えた問題は少し調整したら成立した問題になった(と思う).
プリンストン高等研究所による Voevodsky の追悼記事を読んだ.Voevodsky はある時まではモチーフに関連する論文を大量に書いていたのにも拘らず,唐突に homotopy type theory などをやり出したように見えるので,この間に一体何があったのかと不思議に思っていたのだが,上の記事にはこう書かれていた.
Voevodsky returned to the Institute as a long-term Member in 1998 and, in 1999–2000, gave a series of twenty lectures at IAS covering the foundations of the theory of motivic cohomology that he had developed with Suslin and Friedlander, subsequently published by Princeton University Press as Cycles, Transfers, and Motivic Homology Theories.
During these lectures, Voevodsky identified a mistake in the proof of a key lemma in his paper. Around the same time, another mathematician claimed that the main result of Kapranov and Voevodsky’s “-groupoids” paper could not be true, a flaw that Voevodsky confirmed fifteen years later. Examples of mathematical errors in his work and the work of other mathematicians became a growing concern for Voevodsky, especially as he began working in a new area of research that he called 2-theories, which involved discovering new higher-dimensional structures that were not direct extensions of those in lower dimensions. “Who would ensure that I did not forget something and did not make a mistake, if even the mistakes in much more simple arguments take years to uncover?” asked Voevodsky in a public lecture he gave at the Institute on the origins and motivations of his work on univalent foundations.
Voevodsky determined that he needed to use computers to verify his abstract, logical, and mathematical constructions. The primary challenge, according to Voevodsky, was that the received foundations of mathematics (based on set theory) were far removed from the actual practice of mathematicians, so that proof verifications based on them would be useless.
なんとも恐ろしい話だが,確かに彼が研究していた数学の非常な抽象性を思うと,誤りの検出の難しさが彼にとって極めて切実な懸念であったことは頷ける.ここで単なる「コンピュータを使おうぜ!」で終わらせずにホモトピー型理論にまで行ってしまうのが Voevodsky の凄まじいところだと思うが.
Azimuth(John Baez のブログ)には,10 年間に亘るモチーフの研究のうち後半の 5 年はモチーフに嫌気が差していたとも書かれていた.
Voevodsky は写真も撮っていたらしい:https://vividha.livejournal.com/. vividha = विविध?
The Mathematical and Philosophical Legacy of Alexander Grothendieckという本を知ったので少し中を見てみたのだが,読み物として読めて内容的にも結構面白い記事が多くて嬉しい.André の記事と Baez の記事と Saïdi の記事を読んだ.ロジック関連のものもあるようなのでそちらも読みたい.
昨日は金曜日にしては珍しく講究もヴァイオリンもなかったので,普段より余裕があった.ギリシア語の講読では先週に引き続きミュケーナイ・ギリシア語を読んだ.やはり難しい(注釈がなければ読めたものではない,というか注釈があっても難しい)が面白かった.次はキュプロス音節文字を読むらしい(が,来週はちょうどその時間に数学科の集中講義があるので,行けるか分からない).
少し前に悩んでいた Ayoub の論文の行間は多分埋められた.Gemini に聞いたら変なことを言っていたが,その時に参照されていた定理を見てみると確かにそれから従うことだったので,結果的に役に立った.
今日は山下先生の集中講義の初日だった.参加者は 100 人以上も集まったそうで,急遽教室が通常のものから大講義室(失敬! NISSAY Lecture Hall が正しい名前でした!)に変更されたが,それでもかなり人口密度が高かった.内容はかなり高度だったので,明日からは人数が減りそうだが.私も物理側の話は全然分からず,数学側はまあ辛うじて分かるかなという感じだったが,取り敢えず明日も行こうと思う.今日は QFT の簡単な解説がなされたて,QFT が何かの良い性質を満たす関手であるらしいということは分かったが,どうしてそれが物理と結び付いているのかは分からなかった.それから経路積分というものは面白そうだ.あの形の積分を見ると気になってしまう.実際 Feynman amplitude とかはモチーフとも関連があるらしいし…… 金曜日の集中講義は先生のご都合で時間が変則的になるそうなので,ギリシア語の講読にも出席できそうで嬉しい.
最近では物理の人も 圏を使うのだろうか.そういう分野をやっている人はすごい.
明日は講究があるが,準備が微妙だ.一週間以上あったのに何故……
講究は準備が足りないかと思ったが,意外と大丈夫だった(それどころか少し余った).2.7 節はテクニカルなので一旦飛ばして後でそこでの議論が必要になったら戻って来れば良いのではないかと言われたので,次回 2.6 節の途中から終わりまでを終わらせたら 3 節に入りたいと思う.漸く motivic Galois group が定義される.Ayoub を読み始めてからの講究は自分の認識では結構苦戦しているように思っていたが,先生から「Ayoub は流石にもっとメタメタな感じになるかと思っていたが,順調に進んでいる」と言われたので嬉しかった.
今日の山下先生の集中講義は物理の内容が多くてあまり分からなかったが,明日はもう少し数学っぽくなるようなので楽しみだ.講義に続いてトポロジー火曜セミナーも山下先生だったのでそのまま参加した.山下先生が研究されていることはちゃんと理解できれば本当に面白そうだ.
昨日から 4 日連続で午前中にアルバイトがあるので,今日の集中講義には出席できなかった.3, 4 日目はかなり難しくてあまり理解できなかった.聞くところでは今日は結構数学的な内容が多かったようなので少し残念だ.
ギリシア語の講読には出ることができた.キュプロス音節文字を読んだ.線文字 B よりは読みやすかったが,注意深く読むと色々なことが読み取れるのだな.
今週は矢鱈と忙しかった.来週は流石に余裕があるとは思うが.
4 日連続のアルバイトが終わったので,多忙な一週間が終わった.帰りにふらっと池袋のジュンク堂に立ち寄ったのだが,入った時は 2000 円分くらいの本を買うつもりだったのに気が付いたら平積みされていたエーコの『薔薇の名前』を衝動買いしてしまって 7000 円近く使っていた.恐ろしい話だ.
Ayoub の Une version relative … の motivic Galois group のところを読み始めたが,motivic Hopf algebra に Hopf 代数の構造を入れる方法すら書いていなかったので,結局 L’algèbre de Hopf …, I を参照する必要があった.この論文の最初の方に monoidal category の随伴関手(+ α)から Hopf algebra を作る方法が書いてある.この構成は全く抽象的な formalism なので追えば追えるし全く難しくはないのだが,ずっと続くと段々嫌になってくる.最初は楽しかったが読んでいるうちに飽きてしまったので,結果だけ読んで証明は雑に目を通すだけで済ませてしまった.しかし Ayoub の論文には diagram chase がそれなりに律儀に書かれていてとてもありがたい.
通常の淡中圏においては fiber functor が右随伴を持つということは少ない(淡中圏の fiber functor は bialgebra の coaction を忘却する関手なのでその右随伴は cofree functor であり,これは で与えられるので, が有限群でない限りこの関手の送り先は元の圏に入らない)のだが,Voevodsky motive の fiber functor にあたる Betti realisation functor はその表記が示唆する通り右随伴 を持つので,一見少々不思議な感じがする.恐らくこれのトリックは次の点にあるのだろう:Betti realisation functor は complex analytification functor
と global section functor
の合成として定義されている.前者は左随伴関手であるのに対して後者は右随伴関手であるので,これらの合成である がさらに随伴を持つということはあまり期待できないが,実は は圏同値であることが示せるので, は右随伴を持つ.
ところで Nori の motivic Hopf algebra の構成と Ayoub のそれの構成は見かけはかなり違うように思えるのだが,実はどちらも coend を用いて同様の方法で書けるということに気が付いた(というか Gemini に聞いたらそう言われたので,実際に考えてみたら確かにそうだった).今日はもう遅いので明日以降纏めておきたい.
実は私は数学を勉強するときに AI にお伺いを立てることがしばしばある.知的退廃の誹りを免れないかもしれないが,Grothendieck も分からないことを頻繁に Serre に聞いていたということなので,もしも Grothendieck が現代に生きていたら,AI にも色々と聞いていたのではないだろうか…… と思って AI の使用における良心の負担を軽減している.
昨日触れた motivic Galois group(というよりは motivic Hopf algebra か,と思いきやそもそも Hopf 代数ですらない)の構成の記事を書いた:Nori と Ayoub のモチーフ論的 Galois 群の構成.今日はこれを書いていたら一日が終わってしまった.
“motivic” の訳語として何か良いものはないだろうか.暫定的に「モチーフ論的」と訳したが,なんとなくぎこちない.