Google Drive に PDF をアップロードすると AI が自動で音声解説を作ってくれることを知ったので,先日の講演のスライドを食わせてみたら,変なところもあるけれど意外と面白かった.
昨日言及した Kantor の博論を読んだ.3 節からが stacky な話なのであまりよく分からない感じがした.6/16 の日記で言及したような non-unipotent な場合における non-abelian cohomology の話はこのあたりに書いてありそうだった.結局 stack みたいな話になるのか.
Alper の講義動画の 1 本目と 2 本目を見た.大体全部知っている内容だった.
Alper の講義動画の 3 本目と 4 本目を見た.categories fibred in groupoids(Alper は prestack と呼んでいる)という概念が現れたが,これは Cisinski で無限圏版を先に知ってしまったものだった.stack の定義を知った.Fu の最初の章に書いてある descent theory はまさにこれだったのか.ある family を ample bundle で射影空間に埋め込んでから vector bundle の étale descent で family を étale descent するのは面白かった.
これは私の好みの話だが,その人の言葉を活字でしか読んだことがないような人(研究者や作家など)が手で文字を書いているのを見るのが好きで,例えば講義動画はそれが満足できるので良い.
Cisinski を読み進めた.漸く (small) -groupoid の -category が定義される所まで来た.去年,院試が終わった直後に初めて漸く半分くらいまで辿り着いたので感慨深い.しかし,これでもまだ米田の補題すら示されていない.
喜劇が読みたくなったので,駒場図書館でアリストパネースの邦訳を借りた.収録されている順に従って早速リューシストラテーを読んでいる.あまりにも猥雑(だが,それが良い).滑稽であ(れ)ることは一つの徳であるから.
そういえば,今度の発表会ではデュオで Robert Fuchs の7 Phantasiestücke の 6, 7 楽章を弾くことになった.知らない作曲家の知らない曲だった.
Alper の講義の 5 本目を見た.Deligne–Mumford stack の定義を知った.stack の定義を一度理解したら Kantor の博論に書いてあることは(少なくとも先日 stack が分からなくて読めなかったところは)別に難しい話ではないということが分かった.これまで stack を食わず嫌い(というか面倒に思って敬遠)していたので,勉強する機会ができてよかった.
Adeel Khan の Lectures on algebraic stacks を読んでおり,これがとても面白い.Khan は書き方が雑だと聞いたが,雑に雰囲気を掴む為に使うのにはとても役に立つ.
今日は涼しかった.
今日から 4 日間アルバイトがある.本当は 1 コマだけの筈だったが,私の前のコマを担当する予定だった人が急に体調を崩したので急遽私が 2 コマ連続で受け持つことになってしまった.これが所得倍増計画である.
Toën が言っている schematic homotopy type というものに興味が湧いている.どうやら tannakian fundamental group を higher に拡張するものらしい.
《リューシストラテー》は驚くほど低俗だったが,面白い.
教訓:如何に低俗な文学も 2000 年寝かせると立派な装丁をされるようになる.
アルバイト 3 日目.今日は午前中にヴァイオリンがあったので動いている時間が多かった.
を Klein の四元群で割った商が と同型であることは, の
への作用を見ると分かることに気がついた.
アルバイト最終日.今回は群論を教えていたのだが,意外と有限群論は面白いかもと思うことができた.この歳になって漸く面白さが分かってきた.
『敵』が Netflix で公開されたらしいという情報を Twitter で見かけた.映画が公開された時はあまり興味を持っていなかったので観なかったのだが,その後に友人から内容を聞いて面白そうだと思ったので観てみたい.
Yamashita, Introduction to differential cohomology:differential cohomology って面白そうだ.
知り合いに古庄先生の 進多重ゼータ値の論文の解説をしてほしいと言われて,明後日にそれがあるのでその準備をしていた.リジッド幾何に関して少し復習した.
整数論サマースクールの予習のための問題集が来た(公式ホームページから見られる).とても有難い.
九月に東大でポリログの研究集会があるので申し込んだ.
Besser–Furusho は tangential base point への解析接続について書かれている論文としてしか認識していなかったのだが,最後まで眺めてみて double shuffle relation について書かれた論文であったことに気がついた.
一昨日書いた古庄先生の論文のゼミがあった.改めて読むと色々と理解が深まった(というか以前読んだ時に誤って理解していた箇所に気が付いた)気がする.
Alper の講義の 6 本目を見た.
混合 Hodge 構造の変動や極限 Hodge 構造について知らないと思ったので,Sara Angela Filippini, Helge Ruddat, Alan Thompson. An Introduction to Hodge Structures を読んでいる.ここ最近の日記を読んで察せられる通り,読むものを取っ替え引っ替えしており,集中力と忍耐力の無さが露呈している.
この間借りたアリストパネースはまだ読んでいる途中だが,何となくカミュの『異邦人』を読みたくなったので,どうせ短い小説だからと思って読み始めた.今日の行き帰りの電車で半分くらい読んだ.以前読んだ時から気に入っていたし,再び読んでもやはり良い.(私が読む限りでの)ムルソーにとても共感する.
16 時くらいから(あるいはもう少し早かったのかも知れない)風が強くなってきた.しかしその後は風が強くなったり弱くなったりしながらも,そこまで酷い悪天候ではなかったように思う.
Cisinski のゼミの準備をした.
昨日の台風は私の住んでいるところではそこまでの影響を齎さなかった.東京や茨城では街路樹が折れたり足場が崩れたりとかなりの被害があったそうだが…… 埼玉ではせいぜい雨が降ったり止んだりしたり,或いは風がたまに強くなったりする程度だったと思う.台風の所為か,今日はとても涼しかった.今年の夏は比較的過ごしやすい日が多い.
今日はヴァイオリンがあった.バッハもフックスも難しい.
Cisinski の準備をしていた.まだ終わっていないが,ゼミは明日の夕方なので恐らく間に合うとは思う.
Kim のスピーチの動画が上がっていた.面白い方だ.
以前 Claude で Jacobian 予想を否定的に解決した人と同じ人が 668 次の Hadamard 行列を見つけたという投稿をしていた.Hadamard 行列というものを抑もよく知らなかったのだが,全ての に対してある性質を満たす 次行列が存在すると予想されていて,それが見つかっていなかった最小の場合が 668 次だったらしい.
AI の発展によって数学そのものは良い影響を受けていると思うが,実際に数学を営む人間の社会にとって吉と出るのか凶と出るのか分からない.私が博士号を取る頃,数学者という職業はどうなっているのかしら?
今日は Cisinski のゼミがあった.5.2 節の内容を話した.5.1 節は単体的集合に関する細々とした話だけだったので必要なところを少し拾って済ませた.
Kantor の博論の 6 章で Hain の relative completion に関する論文が引かれていたので,そちらも少し眺めてみることにした.
Kantor の博論を読むにはまだ知識が足りなくて読み通すのは難しい気がしてきたので,これは暫く放置しておくこととする.結局,Chabauty–Kim theory を一般の多様体に対して適用しようとすると,motivic fundamental group がないから基本群の実現を見ることになるのだが,そこで色々と頑張る必要があるというような話なのだろうか.
前から気になっていた Dan-Cohen, Schlank の Rational motivic path spaces and Kim’s relative unipotent section conjecture を少し読んでみた.
東大のライセンスで AMS の出版物が閲覧できなくなっていたが,所属機関を設定し直したら元通りになった.その後,リモートアクセスの方法が数日前に変わっていたことをリプライで教えていただいた:リモートアクセス(学外からの利用)
一日中『素数と結び目』を読んでいた.確かこの本は中三の頃に買ったのだが,今になって漸く読めるようになった(かしら?)と思うと聊か感慨深い.類体論はエタールコホモロジーの双対性として解釈できるらしい.平方剰余記号がまつわり数の類似であるというところまで読んだ.
局所類体論はある程度覚えていたが,大域類体論はあまりよく覚えていない.幾何学的な解釈も込み入っていて難しい.明日また考え直す.代数的整数論を勉強した時には代数幾何を全く知らなかったので,改めて思い出すと興味深いこともたくさんあるだろう.
Seifert 曲面というものの作り方を知った.
まどマギの《叛逆の物語》がリバイバル上映されていたので,それを観た.以前に見た時は話の流れが複雑でよく分からないという印象だったのだが,改めて観てみたら漸くどういう筋なのか理解できたし,するととても面白かった.かなりドストエフスキー的だと思った.来週公開される新作が楽しみだ.感想を書こうとしていたら長くなってしまって夜も更けたので,明日以降に書きたい(こういう宣言をして書かなかったものがたくさんあることは私も自覚しているのだが,今回ばかりは書くつもり……).
大域類体論の復習をした.だんだんと思い出してきた.
今日は『素数と結び目』を読んでいた.それから《叛逆》の感想を書いた.感想というよりもお気持ち表明みたいになってしまって恥ずかしいが,恥ずかしいものを晒す訓練だと思うことにする.
ネタバレを含み得る部分
テレビアニメ版のまどマギは,言うまでもなく『ファウスト』へのオマージュ色が強く,物語もファウスト然としたカタルシスに終わる.まどかの犠牲によって,奇跡を願い「努力をする限り迷う」魔法少女たちの魂は,戦いの運命は避けられないにせよ,少なくとも魔女となる前に救済されることとなる.即ち円環の理は,魔法少女たちが魔女化して自他ともに害した挙句に別の魔法少女によって殺されるという破滅的な虚無から救い出し,彼女らの選択に超越的な価値を保証する天上の秩序である.「あなたの苦しみは私が認める」「あなたの選択は誤りではなかった」そのようにして全ての魔法少女の魂を等しく労う無条件の愛こそがまどかの望んだものであった.まどかは魔法少女自体を否定することもできたのかもしれないが,魔法少女の存在が地球の文明の発達に不可欠であったとインキュベータに聞かされていたことを考慮すれば,魔法少女そのものは保ったまま彼女らの死後にせめてもの救済を用意するという選択は理に適っている.
それに対して《叛逆》は全く理に適わない話であると言える.ドストエフスキー的,或いは気取った言い方をすればディオニューソス的である(ところでこれは単なる連想ゲームに過ぎないが,まどかに紐付けられた弓矢のモチーフはアポッローンを髣髴とさせる所がある).確かにまどかのような自己犠牲(幼さの故に余りにも非現実的で理想じみているが,魔法の力によって実現してしまった)が人間的精神の美しい側面の一つであることは間違いないが,他方でその対極もまた人間の尊厳である.人間は凡ゆる神的秩序や超越的原理に対して敢えて敵対し,自らの不幸を招いてでも異議を申し立てることができる.如何なる秩序からも漏れ出る不条理にこそ神の似姿たらざる人間としての最大の特質がある.我々は皆,望んでもいないのに勝手にこの世界に産み落とされ,ありと凡ゆる偶然性に翻弄されながら,意味も無く価値も無い人生を歩んでそして訳も分からず死んでいく者であるが,そのような偶然性の落とし子たる我々に最後まで残された尊厳こそが,神的秩序を蔑し,あくまで人間らしい偶然性と無意味性と共に留まり続けることである.
「反逆? お前からそんな言葉は聞きたくなかったな」イワンがしみじみした口調で言った.「反逆などで生きていかれるかい,俺は生きていたいんだぜ.ひとつお前自身,率直に言ってみてくれ,お前を名ざしてきくんだから,ちゃんと答えてくれよ. かりにお前自身,究極においては人々を幸福にし,最後には人々に平和と安らぎを与える目的で,人類の運命という建物を作ると仮定してごらん,ただそのためにはどうしても必然的に,せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を,たとえば例の小さな事で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない,そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら,お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか,答えてくれ,嘘をつかずに!」
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(江川訳)
ほむらはまどかの自己犠牲の上に成立している救済を首肯しない.《叛逆》の主題は,ほむらが円環の理を是認しない理由に対するほむら自身の自覚の遷移にあると思う.まどかの願いの理想主義的な普遍性とは対照的に,ほむらは一貫してまどかという一人の人間の為に戦い,そして失敗し続けてきたが,この「為に」という言葉こそが自己欺瞞に満ちたものであり,全ての歪みを生み出していた.まどかを救い損なう度に後悔と自己否定を重ねてきたほむらは魔女化した果てに自己破壊に走るが,その間のどこかで自らの真に欲する所のことを悟ったのだろう,即ち「まどかの為に」という大義の下にまどかを救うのではなく,「ほむら自身の為に」大義も何もなしにまどかを救うのだということを.そしてそのエゴイズムを自覚してもなおそれを(もはや完全に自己の責任において)追求し続ける強さ,つまり,他者の為の行為(これは秩序に与する行為である)ではなく,あくまでも自己の為の行為こそ,人間的な偶然性・無意味性に対する賛美である.即ち,叛逆というのは,神的秩序を拒み,自身の欲望を「他者の為に」という形式ではなく「自身の為に」欲することであり,或いは「正しいから望む」のではなく「私が望むから望む」ことであり,或いは抽象的な大義や普遍性に凭れ掛かるのではなく,自らの足の上に自らの責任において立つことである.そのエゴイズムの極致にこそ,ほむらの尊厳と徳がある.『失楽園』で真に英雄的であったのは寧ろ堕天使であったように.
彼はここで自分にとっての最後の主を捜し求める.彼は,この最後の主,自分の最後の神に,敵対しようとするのだ.彼は大きな竜と勝利を争おうとするのだ. 精神がもはや主とか神とか呼ぶことを欲しない大きな竜とは,どのようなものか? この大きな竜は,「なんじ,なすべし」と呼ばれる.だが,シシの精神は「われ欲す」と言う.
ニーチェ『ツァラトゥストラ』(吉沢訳)
(《叛逆》は明らかにニーチェを意識している.例えば途中に子供達が “Gott ist tot!” と叫ぶシーンがある.とすると,「幼子」の段階もあるのか?)
Scholze の Motives and Ring Stacks を見た.勿論大して理解はしていないが,面白かった.このように categorification した状況では,古典的な period に当たる情報はどのようにして取り出すのだろうか? Scholze の数学はとても夢があるが,修論に応用するには流石に時間が足りなすぎるので,気長に少しずつ(こっそり)勉強するのが良さそう.
『素数と結び目』は記号の設定がよく分からない証明が出てきて,更にその参照元の論文にもアクセスできなくて困った.トポロジー側の命題なので,別に証明は追わなくても良いのだが……
Dan-Cohen–Schlank の論文の続きを読もうかと思ったが,半分くらい読んだところでなんとなくあとはざっくり眺めておけば良いかという気持ちになってきてしまったので,それで終わりにした.そろそろ迷走状態から脱したい.
今日はヴァイオリンがあった.フックスの Fantasiestücke の 6 楽章は読み終わった.BWV 1015 は 2 楽章の半分くらいまで譜読みした.
HTT の 5 章を少しだけ眺めた.随伴って Cartesian & coCartesian fibration のことなのか…… HTT で straightening functor はイタリックで書かれているのに unstraightening functor は立体で書かれているのは何故かしら?
母が転倒したので一緒に病院に行った.別に重篤なものではないが,夜なので少し遠いところまで行く必要があった.私は怠惰すぎて運転免許を持っていないので GO というアプリでタクシーを呼んだ.タクシーを呼ぶ方法は駅前で捕まえるか電話するかしか知らなかったのだが,このアプリが便利すぎて驚いた.今いる場所の近くのタクシーを自動的に探してそれを呼んでくれる.当然,自分がいる場所はアプリが自動で運転手に通知するし,目的地を事前に入力することができる.タクシーの車体の広告でなんとなく GO というアプリの名前は知っていたが,ここまで役に立つものだとは知らなかった.面倒がらずに新しいものをどんどん使ってみるべきだなぁ……
特定の状況に紐付けられてある時期に何かをしていたことを覚えていることがある.ちょうど一年ほど前,慢性的な頭痛があったので病院に行ったことがあり,そこで『ボヴァリー夫人』を読んでいたことを覚えている.特に,3/7 の日記で言及した本の装丁に関することについて読んだのは病院の待合室出会ったことを覚えている(し,更にその間にゲリラ豪雨が降っていたことも覚えている).MRI の結果からして特に憂慮すべき事柄はないが,ラトケ嚢胞(殆どの場合外はないらしい)というものがあるから,心配なら一年後にまた MRI を撮りに来てと言われて,その時に Google カレンダーに入れたその一年後の日が昨日だったので,これを思い出した.結局頭痛は今でもそれなりによくあるが,病院に行く前からもあったことだし,薬を飲めば消える程度には軽いし,まあそんなものだろうと思っている.因みに『ボヴァリー夫人』はドパガキにはまだ早かったようで,途中で投げ出していまだに読了していない.
近頃は中学生あるいは高校生の頃に抱いていた感情に想いを馳せることが多いのだが,今となっては全く思ってもいないようなことであっても,それをある程度一人称的に追憶できるのは不思議なことだ.これは当時の感情が言語的に記憶されているから(逆に言えば,感情のうち言語的に把握していた部分のみを)思い出せるということなのだろうか.
暫くの間(『結び目と素数』と並行して)読む文献は Brown の Multiple Modular Values and the relative completion of the fundamental group of にしようかと思う.長い論文なので尻込みしていたが,これまでに多重ゼータ値と prounipotent fundamental group の話を幾らか勉強していたこともあって,それなりに読めそうだった.あとは矢張り relative completion に興味がある.この類の論文の常として,たくさんの情報を扱う必要があって慣れるまでの負荷が大きいという点があるが,今回は少し我慢すれば良さそう.
今日も Brown の の論文を読み進めた.
夕方ごろ突然激しい雷雨に見舞われた.埼玉で冠水があったらしい.
以前,ある知り合いから私が 7 月末に母校で話した内容を話して欲しいと言われたので,今日その人と通話してモチーフと周期の話をした.
明後日からは整数論サマースクールがあるが,私は前泊するので明日から長崎に行く.自分が極度に内向的な人間であると自覚しているので,なるべく積極的に他人に話しかけるように心がけたい.
埼玉・東京以外に行くのは一年ぶりくらいになるかも知れない.
深夜に地震があった.緊急地震速報がなったのでそれで一度目が覚めたのだが,本棚が倒れてこなかったのでそのまま眠っていた.
10:20 地震と山手線の人身事故の影響で初っ端から電車が大幅に遅延している.それなりに余裕を持って空港に到着できる予定だったので,恐らく間に合うとは思うが,やや不安なところ.延々と低速走行している.線路の確認が必要らしい.
11:40 山手線が全線で運転を見合わせていたので京浜東北線で何とか浜松町まで辿り着いた.浜松町から先発の各駅停車に乗りそうになったが,発車直前に罠に気が付いて回避できた.その 5 分後の空港快速でなければ間に合わない.
12:10 ギリギリの所で保安検査に間に合った.保安検査は思っていたより迅速だった.
12:15 これから搭乗する飛行機の到着が遅れているので,出発が遅れそう.
12:25 出発時刻が 12:25 から 13:10 に変更になった.
13:50 離陸.離陸時の加速感と浮遊感がたまらない.
15:10 長崎の街並みが見えてきた.今回はウェルベックの『領土と地図』を持ってきた.機内ではそれを読んだり微睡んだりしていたらすぐに到着してしまった.読み始めてから,ウエルベックが性的描写に満ちた作家であることを思い出した.合宿先で読むのには向かないかも知れないが,時すでに遅し(だし,面白いことには変わりないので仕方ない).長崎は遠藤周作の『沈黙』の舞台であったことを思い出した.『沈黙』はスコセッシ監督が映画化していたので,飛行機でそれを見ようかとも思ったが,移動時間よりも映画の方が長かったので諦めた.
19:00 (今着いたわけではないが)宿に着いた.入ったところが 9 階で非自明だった.バブルの香りがする宿で,多分こういう類の宿がいま日本各地で廃墟化しているのだと思う.長崎空港からバスで一時間くらいかけて長崎駅に行き,そこから更にバスで風頭山に行かなければならないのだが,長崎駅でのバスの乗り継ぎが難しかった.
21:00 同じ部屋の人とそれなりに話した.他の部屋の Twitter の知り合いとも話した.夜景が綺麗.
整数論サマースクールでは人と話すのに忙しくてインターネットに構っている暇がありません.インターネッツ・オタクの皆様,ごめんなさい.
私が勉強した内容を友人に話せて楽しかった.それから,昨日は RIMS の友人に久々に会った.その時の会話:
相手「局所体上の曲線の基本群の中に geometric な基本群が入っているので、それによる商を考えます」
私「それって絶対 Galois 群じゃないの」
相手「絶対 Galois 群と同型なだけね」
数日間なかなか日記を書く時間がなかったので,サマースクール終了後に色々と思い出しながら書くことにする.
この日の講義は午前中のみで,午後は「自由討論(場所は問わない)」だった.私は一人で長崎を歩き回っていたが,これは「自由討論」ではなかったかも知れない.バスで長崎駅付近まで行こうかと思ったが,適当に出発してしまった結果,次のバスが 20 分後だったので歩いて山を下ることにした.墓を横切る長い階段を歩いた.
午前中の講義では -motive という概念が紹介された.あまりモチーフという感じはしない.
夜,友人にモチーフの話を色々とした.
進 Hodge 理論は一応少しは知っていたので,午前中までは何とかついていけたが,午後は完全に振り落とされてしまった.
結構前から Twitter で FF だった人と話して, 進 multiple polylogarithm について教えていただいた.これの定義は一応古庄先生の 進多重ゼータ値の tannakian interpretation の論文に Artin side として少しだけ言及がなされているのだが,この論文を読んだときには主に 進の方にしか興味がないのでほとんど注意を払わずにいた.実際,この関数を研究している人は少ないらしいが,有理数体の絶対 Galois 群の表現と深く関わっているとても面白い対象であるということを教えてもらった.とても興味が湧いたので,取り敢えず暫くの間は Wojtkowiak やその方の論文を読んでみようかと思っている.
今日は飛行機が 15:55 発だったので,ホテルから長崎空港まで遠いこともあるし念の為昼食は無しにしていたのだが,蓋を開けてみると昼食を食べなかったのは私だけだったようだし,多分昼食を食べていても間に合ったと思う.飛行機ではずっと眠っていたので,あっという間に到着してしまった.その後は乗り換えも順調で,何事もなく帰宅することができた.
話したいと思いつつ話せなかった人は何人かいるものの,(私にしては)それなりに色々な人と話すことが出来たと思う.とても良いサマースクールだった.今回は M2 でポスター発表をしている人がそれなりにいたので,来年は私も何か発表でいるような結果を得られていると良いなという気持ちになった.
結局サマースクールの期間中,本や論文はあまり読めなかった.それよりは人と話している時間が多かったが,人と話せる機会は少ないので,それで良かったと思う.何故か大量の恋愛話も聞いたが……
『素数と結び目』を少し読み進めた.Fox 自由微分という概念を知った.白石さんのOn -adic Galois analogue of polylogarithm functional equations を少し読んでいたが,途中から technical になってきたので中断した.続きはまた今度読もうと思う.ところでこれで引用されている古庄先生の『結び目と Grothendieck–Teichmüller 群』というレクチャーノートを読んでみたいのだが,中々見つからない.
明日はまどマギの新作を観に行く.
《ワルプルギスの廻天》を観た.とても良かった.色紙がもらえた.詳細は覚えていない部分も多いので,もう一度観たい.
ネタバレを含み得る部分
以前書いた《叛逆》の感想ともやや重複するが,やはり誰かを「救う」,或いは誰かの「為に」行為するということの傲慢さと歪みが通底する主題としてあると思う.テレビアニメ版では人間は完全に「他者の為に」行為をすることができるほど強くはないものだということが描かれる一方で,《叛逆》以降では「自分の為に」行為をすることを認められるほど(行為の動機と責任を自らに帰すことができるほど)強くもないということが描かれていると思う.その結果として,《廻天》では誰もが何かの為に闘っている筈なのにもはや各々が何を目的としているのかを見失っている.「利他的」行為の性質について考える必要があると思う(cf. Psychological egoism).抑も「救済」という概念は非常に厭なものだと思う.一度「救済」が成立してしまったら,それ以降は如何なる苦しみも不幸も異議申し立てもが「救済」の名の下に無効とされてしまうではないか.自らが敢えて選択した不幸(に酔うこと)こそが自らの全人生を肯定するに値するものたらしめることだってあるだろうに.それが無意味な英雄気取りであったとしても.
やはり私は暁美ほむらのエゴイズムが好きだが,《廻天》の終わり方はやや切なかった.あれは続編の存在を示唆するのかしら?
Wojtkowiak の 進反復積分の論文を読んでいたが,群論の細々とした計算が面倒で意外と進まない.
結局,忍耐力の欠如により Wojtkowiak の論文は読めないと判断したが,Nakamura–Wojtkowiak の関数等式に関する論文なら読めそうだったので,こちらを読むことにした.しかも,こちらは関数等式に現れる低次の error term について書かれているので,最近私が関心を抱いていたことに近い.先学期のセミナーで tannakian な基本群をそれなりに扱っていたので,この類の論文は結構読み易く感じる.尤も,こちらでは代数群ではなく 進 Lie 群を扱っているという違いはあるが,ほぼ同じだろう.
自分が何かに値しないと思った時に「私はそれに値しない」と言うことは簡単だが,それが他者の権利や利益の縮小につながらないように配慮するべきだ.場合によっては,自らに値しないものを厚顔無恥にも受け取ることの方が優れていることもあるということに,最近になって漸く気が付いた.
東京大学の新学部「カレッジ・オブ・デザイン」、和名は「価値創造学部」であることが判明←面白すぎる.
7 月と 8 月は本当に何もしていないまま終わってしまったような気がする.嘆かわしいことよ.